キトリ – マキ・エコール・ド・バレエ

マキ・エコール・ド・バレエ

身体を美しく整えるバレエ教室 静岡市

2018/04/25キトリ

当日午前のゲネプロで、
1幕キトリの連続ターン。
思うようにいかなくてテンション急降下だったHana

その、
急降下したテンションのまま登場した
第1幕・コーダ(ゲネ)
キトリとはかけ離れたHanaの姿に
大丈夫かなぁ・・と心配になりました。
笑顔が、まったくない。
発信を、していない。
だから当然、表現になっていない。
休憩中、楽屋に行ってみたら案の定、
悔しくて泣きじゃくっていたHana
本番まであと数時間。
立て直せるだろうか・・
こういうときって、
「Hanaなら大丈夫だよ」
「頑張って」
なんて、平べったい言葉を並べるのは絶対タブーで
そんな気休め程度の言葉は
まったく響かないし、刺さらないし、
そんな言葉なら、かけないほうがマシとすら思います。
失敗は焦りに変換されるのです。
それが痛いほどよく解ります。
たぶん、
ゲネ1幕でのHanaのターンは、
バレエをあまり知らない人から見たら、
いったいなんの、どこが失敗だったのかわからないくらいだったかもしれませんが、
私たち踊り手には、
自分の納得いくターンと、納得がいかないターンがあります。
踏み込み、引き上げ、キレ、速さ、タイミング、
スムーズさ、音との調和、次の動きとのつなぎ。
ターンがうまくいかなかった原因、
「重心がかなり後ろだったからだよ。」と、
私は技術的なことだけをキッパリ明確に言い渡し、
あとはHanaの精神力を信じることしかできませんでした。
キトリを踊るということの心の構えは
ずっと指導し続けてきたし、
Hanaなりにキトリを研究し、理解し、解釈し、
ここまで来ました。
キトリの役割、キトリの位置づけ、キトリというキャラクター、
Hanaだって、それは解ってて。
自分でも立て直したくって。
私は黙って見守ることしかできませんでしたが、
本番。
午前中の沈んだキトリから、
みんなを笑顔にできるキトリへ。
ガラッと変身して登場したHanaの姿。

キトリでした。
眩しかったな~。
あとから聞きましたが、
Hanaのテンションがどん底にあるとき、
セキジリアの子たちが数人、楽屋に遊びに来たそうです。
そこで、どんなやり取りがあったのかは
私にはわかりませんが、
Hana曰く、
「セキジリアの子たちのおかげで吹っ切れた」そうです。
人と人って、
やっぱりすごい力を持っているよね。
そういうのって、
AIとかスマホとかには絶対できないことで、
そういうアナログな部分って、いざという時はほんとに強いです。
Hanaにはずっと
全体を引っ張るということはどういうことなのかを考えるように
指導してきました。
素のHanaは、
そんなにグイグイ人を引っ張っていく性格ではないですが、
どん帳が開いて、
プロローグ。
1幕オープニングメンバー全員でのフリーズのポーズ。
フリーズなので、動きはまったくありません。
でもこのフリーズ。
自分が発信している空気には責任を持ちなさい、と
これは全員に、ずっと言い続けてきた部分です。
ポーズだけで、動きがないからラク?
いやいや、動きのないところで表現することほど難しいことはないと思います。
それに、
自分が責任をもって発信するその空気で、
Hanaは尚且つ全体を包み込んでいないといけません。
暗転から、照明がパッとついたその瞬間に
黒紗幕の向こう側にバルセロナの日常を切り取った場面を創ります。
ここで、ここから始まるドンキのすべてが決まるといってもいいくらい、
大事な一瞬。
キトリだった。
Hanaがそこにいた、というより
キトリがそこにいました。
そこにいたキトリはちゃんとみんなを引っ張っていたし、
みんなもちゃんとキトリについていっていました。
うちのキトリは、

Hanaで間違いなかったな。
本番という最後の最後で
強く頷くことができた瞬間でした。
役は、大きければ大きいほど
もらったときは嬉しいけど、
その嬉しさと同じくらい、もしくはそれ以上の
重圧も一緒に背負うことになります。
役になりきる、なんて言葉で言うのは簡単でも、
実際やってみると
その役に呑みこまれてしまって、踊れなくなってしまうこともあるのです。
結局のところ、
その役にふさわしい自分、というものを
見出せるかどうか。
役に包まれてしまうのではなく、
自分が役を包み込めるようでないと。
役に支配されるのではなく、
自分が役を乗っ取るくらいでないと。
これは、ある一定のレベルを超えたときに、
踊りとかテクニックとかそういうこととはまた別のところで
直面する課題です。
役を務めるということ。
空間をリードするということ。
永遠のテーマであり、課題だね。